麗らかな朝であった。春が近づき、布団は柔らかく暖かい。寝過ごさないためにカーテンを開けていた窓からは朝の薄い日の光が注ぎ、ピピ、ピピと鳴る目覚ましの音も、空間の調和を壊すほどではなく実に素晴らしい朝の目覚めである。
手探りで目覚ましを止め、寝ぼけた眼を擦り、上半身を起こして伸びをする。あぁまた今日から学校かぁ、そういえば今日は風紀委員の取り締まりがあったような。そこまで考えて一気に眼が覚めた。遅刻は厳禁。急いで着替えなくては、と慌ててベッドから降り、パジャマを脱ごうとしていつもと違う感覚に戸惑う。うん?首をかしげて、ボタンを外しかけた手元を見た。何か、ある。およそ性別男の自分では縁のないもの。何だこれ。あれ?一瞬思考が停止して、改めて自らの胸に手をやった。
ふに。
柔らかい弾力を伝えるそれはまるで。
「…ちょ、リボォォォォォンーーー!!!」
沢田綱吉の一日はこうして始まった。
足元が、スースーする。歩くたびに揺れる長い髪の毛がうっとうしい。そして何より、胸元で揺れる赤いリボンとその下にある膨らみが。何これ何これ何ですかコレ。胸元に鞄を抱きかかえて他人から見られないようにした。いつもは感じない胸への圧迫感。思わず渋面になる。ってか俺どうして女の子の制服着てんの?誰かつっこめよこれおかしいだろ。何がおかしいって性別男の自分が女子の制服を着ていることとか。何で、性別男の自分が、性別女の子に変わってるのか、とかだ。
「お前だろリボーン…!何これ?何で胸があるの何で下がないの!?てーか俺性別男でこの14年間を生きてきたんですがどうして今更性転換!いやむしろ嘘だろ。これエイプリールフールとかそんなんだよな今日4月1日じゃないけど。あははそんな小さいことは気にしないよ俺は。なぁリボーン。嘘だと言って…!」
朝一で名を叫ばれ(もはや絶叫と言っても良い)、全力で捲くし立てられた家庭教師は、それはそれは愛くるしいきゅるんとした目をして綱吉に言った。
「だって暇だったんだもん」
「だもん、じゃ、ねええぇぇぇーーー!」
綱吉は泣き崩れた。目の前の赤ん坊には何を言っても無駄だ。無駄だとわかりきっているがしかしこれだけは綱吉も譲れない。なんといっても人生14年とは言え、自分のアイデンティティがかかっているのだ。
「よしじゃあ100歩譲って嘘じゃないとしよう俺の幻覚でもないとしよう。ここに骸はいないしな。お前の暇つぶしなんかのために俺の性別を換えるなとかそういう正論も一先ず置いておくとしよう。じゃあこれは、いつ、元に戻るんだ」
非常に真剣な表情でリボーンに向き合う。リボーンがベッドの上にいたので、崩れ落ちた綱吉は僅かに見上げる格好だ。
するとリボーンは珍しく、ふ、と口元を緩めた。
「安心しろ、お前なら女でも十分やっていける」
「ぎゃああぁぁやめてくれー!戻る!?戻るよな戻るって言ってー!!」
ほぼ泣きながら、訴えては宥めてすかして何とか拝み倒し、しぶしぶと言った表情でリボーンが教えてくれたところによると、これはジャンニーニが作った女体弾の試作品らしい。試作品なだけあって明確に戻る時間は決まっていないが、大体が1日前後で戻るだろうということだ。それを聞いて綱吉は腰が抜けるほどに安心した。「戻る」と言われて正直ちょっと涙が滲んだ。さすがに齢14の年から性別逆転して生きていきたくはない。
よかった…と涙目で呟いた綱吉に、「もったいねぇな。その調子だと男どもをばんばん落とせるのに」とリボーンが呟いたことは、幸か不幸か綱吉の耳には入らなかった。
女なんだから女子の制服は当たり前だろ、と、どこからともなく家庭教師が新品の女子制服を取り出してきた。抵抗するのも面倒になって着替えたあと、恐る恐る1階に下りていくと台所に立つ母の後姿。ちびたちはまだ寝ているらしい。
「おはようツッ君。今日の朝ごはん、目玉焼きと卵焼きどっちがいーい?」
左手に火にかけたフライパン、右手に卵を持ってにこやかに綱吉の方を振り返った。
女子制服を着て浮かない顔をしている息子(のはずだ)を見て、奈々が眼を瞬く。それはそうだ、自分の息子が女子制服など着ててみろ。おかしな道に目覚めてしまったのかと嘆きたくなる。泣きたいのはこちらの方だ、と思いながら弁解(もしくは状況説明)をすべく、綱吉は重い口を開いた。
「あの…母さん、これは」
「まぁまぁ!どうしましょう」
そうだろうそうだろう。綱吉本人こそどうすれば良いか教えてほしい。愚痴と不満と嘆きは全部黒い小さなヒットマンにお願いします。
「困ったわ。ツッ君、今日学校から帰ってきたら時間ある?」
「そう困っ…って、はい?えと、何の話?」
神妙な顔で頷こうとしたら、なぜか変化球が飛んできた。時間?どうして。
「だって私の服じゃツッ君嫌でしょう?やっぱりもっと、いまどきの可愛い服が良いものね。並盛デパートにする?それとも黒曜百貨店まで足を伸ばす?スカートにしましょうかワンピースにしましょうか。ああ、そうそう靴と小物もそろえないとね」
時間足りるかしら、と頬を染めてまるで女子高生のように奈々ははしゃいだ。高校の制服を着たら女子高生で通りそうだが、れっきとした一児の母だ。いや、そうじゃなくて。え。
「ちょ、母さん!俺がこんな格好してたり胸があることにツッコミはないの!?」
「だってツッ君はツッ君だもの。男だろうと女だろうと、私の可愛い子どもよ」
にこりと、それは慈愛に溢れた笑みを浮かべる。
母の鑑だな、と後から階段を下りてきていたリボーンが言った。
これが、今日の朝、つい1時間ほど前の出来事である。
母が、自分がどうなろうと母である、と言い切ってくれたことはたぶん喜ぶべきことなのだろうが、現状では素直に喜べない。ちょっとリボーンに抗議してくれたら良いなぁ、とかそういう他力本願なことを思ったから駄目だったのだろうか。つらつらと考えながらとぼとぼと歩く。
学校に近づくにつれて、並盛の制服を着た人間が増えていく。せめて知り合いには会わないように、知り合いは来るな気づくな放っておいてくれと思いながら、綱吉は道の隅の隅に寄った。というのに、こんな時に無駄に勘が良いと精神的疲労が大きい。
見られている。
視線を感じる。周囲の男女問わず、なぜか自分を見ているのだ。自意識過剰?ならどれだけ良かったことか。わかってしまうのだから仕方がない。
何だ、何が悪いんだ。って普通にこの格好だよこの状況だよ。男が女になってるんだよ変じゃない方が変だよ。じゃあ周りが自分を見てるのは変な人を見てるだけで別に変なことじゃなくて。
あ、泣きそう。
自らの思考にダメージを受けた。
思わずふら、とよろけたところ、何かに肩が当った。
「大丈夫ですか?」
後ろに人がいたらしい。そのまま支えてくれた。あ、良い人だな、でも今はあんまり人と関わりあいたくないんだけど。「あ、はい」、そう言いながらそういえばさっきの声がどこか聞き覚えのあるものだと気づく。あれ、もしか、して。
「…綱吉くん?」
ぎぎぎ、とぎこちなく後ろを振り返れば、そこには眼を丸くした印象的なオッドアイの美形。すかさず前を向いて全力疾走を図ろうとしたが、残念ながら両肩を捕まえられている。
お前支えてたんじゃねぇのかよ捕まえるなよ。
「おやおやどうしたんですかその格好!髪質が似てるな、とは思ってましたがまさか本人とは。これはアルコバレーノの趣向ですか」
くふふ、と笑う彼は何やら非常に楽しそうだった。
反対に綱吉の機嫌は朝から下がる一方で上昇する気配すらない。
「も、良いだろほっといてくれ…!ああそうさリボーンのせいだよ!いっそお前でも良いよ誰かあいつに抗議してよ、俺で遊ぶなって。てかせめてこの女子制服だけでもどうにか」
「これ、髪は自前なんですか?」
「そうですか無視ですか。あー…髪は朝起きたら伸びてた」
面倒になって一つに括ろうとしたら、奈々に「せっかく綺麗なんですもの、おろしていきなさいな」と笑顔で言われ、仕方なくそのまま梳いて出てきた。
「邪魔なのにな」
「いえ、綺麗ですよ」
何が楽しいのか、くるくると指に絡め、骸は綱吉の柔らかな髪を弄ぶ。もうなるようになれ精神の綱吉は抵抗する気もすでにない。
「あ、そういえばこちらは本物なんですか?」
ふいに骸が思いついたように言った。何気なく綱吉の胸に手をやって。
ふにん。
「わ、お前それ女の子にやったらセクハラだぞ」
顔をしかめ、のけぞるように綱吉が言った。なかなか骸の手が胸から離れない。何の反応もないことをいぶかしんで、「あれ。骸…?」顔を上げると、珍しく彼は固まっていた。
「お、おーい、骸。だいじょう…」
「あ」
「あ?」
「あ、貴方は馬鹿ですかーーーーー!!!」
突然大声を張り上げたかと思うと、ばっ、と胸から手を外し、そのまま綱吉の腕を掴んでその場から走り出した。
「うえぇぇぇ何事!どうしたの!」
「それはこっちの台詞だ!」
「は、何!?てかこける、こけるから!」
引きずられるように走る綱吉には骸の後姿しか見えない。だが彼の耳は真っ赤だった。
おぉ珍しいものを見た、と必死に足を動かしながらもまじまじと骸の赤い耳を見る綱吉は、何だかんだ言って結構余裕かもしれない。