2月10日 23:48:12

腕時計に目をやると、そろそろ深夜を回る時分だった。
コンビニの中だから寒くはないが、きっと外界は震えるほどの寒さだろう。
アーサーは読んでいたファッション誌を棚に戻すと、隣でゲーム雑誌を食い入るように見つめている菊に声を掛けた。

「おーい菊。…そろそろいいか?」
「あとこの2頁だけ…すみませんアーサーさん、あと3分お待ちくださいすぐ読み終わりますので」

反射のように返事をした後、再び菊は文字を追う石像になった。鬼気迫るものがある。

緑の髪色をした少女が微笑んでいる雑誌を「本日発売」と書かれたラックに見つけた瞬間、菊は声にならない叫びを上げ、即座に振り向くと後ろにいたアーサーを真剣な瞳で見つめた。

本人曰く、今日は少年跳躍しか買わないと決意して家を出てきたので、ここで他の雑誌に手を出すわけにはいかない。しかしオタクの性として、早売りされていたゲーム界のバイブルを見て見ぬ振りことも出来ない。何といっても嫁の情報が載っている。つまりは立ち読みにて出来るだけ情報を暗記して、帰ってネットで詳細を検索するしかない。

だからお願いします。5分だけ待っててください、と頼み込まれた。

いつになく必死な菊を見るのは新鮮だったし、あまりお願いをされることがないアーサーとしては、表面上は仕方ない体を装いつつも、内心では狂喜乱舞していた。
何よりも興奮して頬を染めた菊はそれはもう可愛かった。この状態でお願いされて、すげなく断れる人間は一度脳と視力の検査をしてもらった方が良い。

食料と酒の入ったカゴを足元に置き、自分は適当なファッション雑誌を手に取りパラパラと流し見しながら、気付かれない程度に菊の横顔に目をやる。
大事な情報を逃すまいとしているのか、誌面を見つめる目が狩人のようだった。
それでも珍しく喜びを表情に出している菊を見ると、知らず口元が緩んだ。

しかしすでに立ち読みをし始めて早15分だ。
そろそろ店員の視線も痛い。

アーサーはひとつため息をつくと、菊が持っていた雑誌を掴んで持ち上げた。

「あ…っ」

それは残念そうな声が上がる。けれど約束の5分は疾うに過ぎていることを自覚しているのか、菊は文句を言うわけでもなく切なそうに眉を寄せるだけだった。
いつもこれだけ素直だったら良いのに、と思い、いつもこうだったら自分の理性が持たないなと思い直した。アーサーは苦笑して、菊の頭をポンと一度叩くと、足元のカゴの中にゲーム雑誌を放り込んでレジへと向かった。


「っアーサーさん!」


背後から聞こえる声が喜色に塗れている。
薔薇の花束を贈っても人並み以下にしか喜ばれないのに、ゲーム雑誌1冊買うだけでこの飛びつかれんばかりの喜ばれっぷりはどうだ。

「そっちの漫画雑誌は自分で買えよー」

レジで商品のバーコードを読み取ってもらっている間に振り返って声を掛けると、すでに菊は少年跳躍を手に満面の笑みで隣の空いたレジへと向かうところだった。

「もちろんです!」

780円でこの笑顔が見られるなら破格だな、と我ながら馬鹿なことを考えながら財布を取り出す。
野口2枚と引き換えたレジ袋を持って、先に会計が終わった菊が待つ入り口へと向かう。

「ありがとーございましたー」

ぴろぴろぴろぴー、ぴろぴろぴー。
独特な出入店音が鳴り響く中、店員のやる気のない声を背後に外へと足を踏み出した。
途端に実感する2月の寒さ。
寒いというよりむしろ冷たさが痛い。

「うおおぉぉ…さみぃ…!」

口の下までマフラーにうずめて、ポケットに手を突っ込む。
酒瓶がビニール袋の中で当って結構な音が鳴ったがお構いなしだ。この程度の衝撃で割れる商品は、日本の店頭には並ばない。
しかしこの極寒の中、寒がりの友人が何の反応も示さない。不思議に思ってアーサーは右方へ視線をやる。
そこには、あまりの寒さに声もなく縮こまる菊がいた。

「お、おい…大丈夫か?」
「…だいじょうぶじゃ、ありません…さむいです…」
「まぁ真冬だからな」
「それだけじゃありません!私このコートの下ほぼ部屋着なんですよ…!」
「歩いて10分だしコート着たらわからないし良いですよね、って言ってたの30分前のお前だぞ」
「だって早くしないと漫画雑誌売り切れちゃうかもしれないじゃないですか…試験終わってすぐ買いに行きたかったのに気付けばあなたの弟さんに拉致られる始末」
「…そのことについては心より詫びる」
「飲み会行ってカラオケ行って、3次会になぜか私の家で宅飲み、終電があるからと帰られたのは良いものの、また明日も来るんだぞ!(イイ笑顔)って一体何事ですか」
「……悪ぃ。いや、でもあいつも悪気があるわけじゃ」
「わかってますけどね」

ため息をつきつつ、菊が苦笑する。
どれだけ強引に連れまわされても、憎む気持ちになれない。本当に得な性格をしていると思う。

「一応あいつなりに気を利かせてくれたんだよ」

腕時計を確認する。
現在、23時59分48秒。秒針を見つめながら続ける。

「ちゃんと今日中に帰っただろ?」
「え?あぁ、まぁ、そうですね」

明日またいらっしゃるとしても。
きょとんとする菊に、アーサーは笑った。

時計の秒針が頂点を指す。


「Happy Birthday」


愛しい人を見つめて、それは優しく囁いた。


「20歳の誕生日おめでとう、菊」


菊は目を数度瞬かせて、それから今初めて気付いたかのように「あ」と小さく声を上げた。

「あ、あれ。今日って11日でしたっけ?」
「いや自分の誕生日忘れんなよ」
「いえ、誕生日が、というかここ最近続いた試験のせいで…日常の日付感覚が…」

もごもごと言い訳をしつつ、ゆるゆると頬が高潮する。
付き合い始めたとは言え、これと言ってまだ恋人らしいことはしていない。その矢先の誕生日イベントだ。シュミゲではフラグktkrと気合が入る場面だが、現実に起こると途轍もなく恥かしい。
ちょうど街頭の下で顔が良く見えることも恥ずかしさを冗長させている。


「あの、ああぁ…ありがとうござ、いっ」


混乱のままひとまず御礼を述べようとした菊が、唐突に顔をしかめた。
この寒さで唇の端が切れたらしい。
うっすら血が滲む。
慌てて指先で乱暴に拭うと、逆に唇全体に血が広がった。


まるでそれは、唇に紅を差したようで。


そう思った瞬間、すでにアーサーはその上に唇を重ねていた。


小さく息を呑む気配がしたが、構わずに舌で相手の唇の表面をなぞる。
鉄の味がした。そのままゆるく合わさっているだけの唇の隙間から口腔に入ると、生温かい菊の舌に突き当たる。当ると同時に逃げられたので、あまり深追いはせずに遊ぶように並びの良い歯列をなぞり、上顎を一巡りしてから口を離した。
茫然とした表情の菊の口元は唾液で濡れていて、非常に艶かしい。本人にその自覚はなさそうだが。

「な」

一音だけ菊が発する。

「な?」

面白がるようにアーサーが促した。

「な、何。え、あの。一体。…きゅ、急に何なさるんですか!血、血ですよ。鉄の味が、というか舌が。…っ私が、何か病気でも持ってたらほんとどうするんですかー!」

ちゃぶ台があればひっくり返していそうな勢いだ。
顔は先ほどよりもよほど赤い。その目には興奮ゆえかうっすら涙が滲んでいた。
アーサーは笑う。

「良いよ。お前と一緒の病気なら」

「は、え?」


「菊と同じように生きて同じように死ねるなら、別に良い」


「…………ばっ」

「証明するためにもう1回して良いか?深いやつ」

「ばっ、か、じゃないんですか、あなた…」

あれだけR18もののゲームが部屋の中に転がってるくせに、なぜか自分が当事者になるだけでこれほどうろたえるのか。そのギャップがまた楽しいのだと言えばきっと口をきいてもらえなくなるから、大人しく黙っておくことにする。

質問したまま場を動かないアーサーに、菊は赤面したまま物言いたげに一度口を開いたが、結局それは何の言葉も発せられずに閉じられた。くるりとアーサーに背を向け、足取り荒く歩き出す。

「こんな道端で、そんなの出来るはずないじゃないですか…!寒いんですから早く帰りますよ」

言葉に秘められた意味を違うことなく読み取ったアーサーは破顔して、菊の後を追いかけた。隣に並んで、左手を取って口元に持ってくる。


「Blessing to you.My dear」


祝いの言葉と共に手の甲に軽くキスを贈ると、もはや言葉もなく菊はその場にしゃがみ込んだ。

「アーサーさん…もう勘弁してくれませんか…」
「程よく温まっただろ?」
「そういう問題じゃありません…」
「よし、さっきの返事ももらったことだし早く帰るか」
「返事…!いえいえそんなの誰も」

あぁそうだな、と生返事を返しつつ、必死に弁解する菊の手を引っ張って立たせた。
その手を繋いだまま、菊の家へと足取り軽く歩き出す。
どうせ朝になると色んな人間が菊を祝いに押しかけてくる。夜の間くらい独占しても良いだろう。
朝一にアルが来るまでに全部終わらせないとな、と愛しい人の手を引きながら、アーサーはこれから朝までの計画を頭の中で巡らせた。

Happy Birthday to My Dear