※学パロ+本田が精神的に少し弱い+黒いフランシス=ご注意
ピンポン、とチャイムを鳴らした。
目の前には黒い、シンプルなマンションの扉がある。部屋番号は211号室。
15数えて中から何の反応もないことを確認すると、慣れた風にフランシスは制服の胸ポケットから携帯を取り出して、目当ての名前を呼び出す。本田菊、と携帯画面に端的に表示されたそれを眺めて笑みを一つ。
躊躇いもなく発信を押す。
コールが10を過ぎ、そろそろ留守番電話に切り替わるか否かのタイミングで相手が出た。

「は、い…?」

今にも消え入りそうな声。むしろ相手に声を届けようとしているのかさえ怪しい。
だが、フランシスにとっては誰よりも大切なひとの声。

「おはよ、菊ちゃん。お兄さんだよー」

意識しておどけた調子で応える。
自分の飄々とした態度を、あの子が好んでいることを知っている。

「…ふらんしす、さん…?」
「そ。今前まで来てるからさ、開けて?」

僅かの沈黙の後、通話が切られる。フランシスは心の中でカウントを始める。
幾ばくもしないうちに、カチャリ、と鍵が回される音が微かに聞こえた。
今日は早いな、と内心で8秒を数えたフランシスは意外に思う。思っていたより深刻では無いのかもしれない。
ゆっくりと20センチほど開いた黒い扉の隙間から、青い顔をした本田菊が辺りを伺うように顔を覗かせた。紛うことなきフランシスが立っているのを見てほっと息をつく。
それから、人一人がぎりぎり通れる空間分だけ扉を開けた。

「どうぞ」

そうしてフランシスはやっと友人の家の中へと招き入れられるのだ。



  

友愛モラトリアムの中の幸福





本田菊、という名前をAPH学園で聞く事はよくある。
APH学園は学長の方針ゆえに様々な国籍の学生が存在するが、学園の基礎となる生徒会の構成国籍は、イギリス人の生徒会長に始まり、フランス人の副会長、アメリカ人の書記、カナダ人の庶務。
基本的に欧州勢が目立つことが多い中で、会計役、本田菊の存在はある意味異色と言える。

文武両道で教師陣からの覚えもめでたく、派手ではないが東洋人ならではの落ち着いた容姿はアジアンビューティーと呼ぶにふさわしい。顔良し頭良し、しかしだからといってお高く止まるわけでもなく、誰に対しても分け隔てなく接し、親切で優しい。気配りも出来て空気も読める。
生徒会唯一のアジア人ということもあり、注目度は他の生徒に比べ抜きん出ている。
その好ましい性格と、優しい声。東洋系の顔立ちに惹かれ、同輩先輩後輩問わず、彼のファンは多い。


そんな彼の、最たる秘密がこれだった。


2日ぶりに見る本田の表情は暗い。顔色悪く、唇も乾いている。
誰がどう見てもアジアクラスに確認したとおり、「体調不良で学校を休んだ学生」そのものの態である。
けれど、フランシスだけがその理由が嘘だと知っている。

ワンルームの部屋に入ると、朝にも関わらず閉められたままのカーテンのせいで、全体的にぼんやりと薄暗い。電気はつけられていなかった。机の上に出しっぱなしにされた教科書とマグカップ。
片付けられたままのゲーム、日除けの布が掛かったままの本棚。
いつもならばきちんと整頓されている布団は、ベットの上で丸められたまま。

やっぱり。

フランシスは内心呟く。

「いま、お茶を」

今にも消え入りそうな声を零し、本田がふらりと部屋を出ようとした。
その腕を掴む。触れた瞬間僅かに身体を強張らせたことに気付いたが、お構いなしにフランシスは同級生を引っ張ってベットの端に座らせた。そして自分はその前に膝を付く。
部屋の中だというのに冷え切っている本田の左手を軽く握る。
何の反応もなければ拒絶もなかった。
俯いている本田を覗き込むように首を傾げ、フランシスは微笑んだ。

「どうしたの」

本田はゆっくりと瞬き、フランシスの顔に焦点を合わせた。
無言のまま時間が過ぎる。
不意に、本田の表情がゆがんだ。

「何でも、ないんです」

そうだろうな、と思った。
「そっか」
そして思ったそのまま口に出した。
微笑んだままのフランシスに、苦しそうに、吐き出すように本田は訥々と語る。


「ほんとうに、何もないんです。誰かに何かを言われたわけでもない。なにかあったわけでもない。ただ、ただ怖くなって。急に立っているのが怖くなりました。外に出たくない。人と関わることが、人と接することが怖くて。迷惑をかけるのが怖い。誰かの負担になることが怖い。迷惑をかけて誰かの重荷になるくらいなら、何にも関わらずひとりで生きていきたい。なのに」


今にも泣きそうな声音だった。
それでも彼は泣かない。


「周りの人が優しくて。優しくて、泣きたくなる。朝登校して”おはようございます”って言うと、”おはよう”って返してくれるんです。笑いながら。それがどれだけの幸せか。いつもは何の問題もなく受け入れられる。でも今は、駄目です。駄目なんです。私は人の優しさに生かされているのに、自分の弱い心はその優しさにも耐えられない。どうすれば良いんでしょう。どうすれば、フランシスさん。怖い、こわいです」


たすけて。


最後の言葉はほとんど声になっていない。
フランシスは掴んでいた手を離し、立ち上がると本田の隣に座った。
祈るように両手で顔を覆い、身体を丸め震える本田の肩を慎重に抱き寄せる。小さいなぁ、と改めて思う。欧州の標準的な体格を持つフランシスからすれば、アジア人の体格は心配になる程華奢だ。
この小さな身体で、どれだけの感情を溜め込む気だろうか。


普段は人の輪の中で微笑んでいる本田菊は、ごく稀に対人恐怖症になる。


対人恐怖症というよりは、周囲の全てに過敏になるといって良い。
特に好意と善意に弱くなる。優しくされればされるほど、自己嫌悪に陥るというのだから堪らない。

常日頃、本田はそれはうまく立ち回っている。引きすぎず、押しすぎず。場の見極めが見事だった。
彼だからこそ、癖の強いメンバーが集まる生徒会の中でもやっていけていると言って良い。
ひとつ問題があるとすれば、1人で悩みを抱え込んでしまうところだった。たまに、本人も気付かない間に受け入れられる許容量を超えてしまう時がある。溢れてしまう。ただそれだけの話。
人が信じられなくて、そんな自分が嫌で。

本田菊は純粋で、優しすぎるのだと思う。
かつ、自身に厳しい。

初めてこの状態の本田を見た時は、驚いた。遭遇したのも全くの偶然だった。
だがそれ以来、フランシスだけが本田の秘密を知っている。
唯一、自分だけが。


その、言い表せない程の優越感と、幸福感。
ひどく悦んだのだと伝えれば、君は軽蔑するだろうか。


「大丈夫、大丈夫だよ菊ちゃん」


震える本田を宥めるように、優しく囁き、緩く肩を叩く。


「俺がいるでしょ?」


小さな子供に言い聞かせるように。
悪い大人が、本心を隠して嘘吐くように。
歓喜が声に滲まないよう注意するのも一苦労だ。
自分が相手に取って最良であり、唯一の人間なのだと錯覚させる。


壊れないよ、逃げないよ。どこにもいかない。ここにいるよ。
(だから君も決して離れないでね)


分をこえた役目も、相手がそうと気付かなければ本物になると信じている。
フランシスは、自己嫌悪で自らを責める本田に無条件の愛と優しさをを囁く一方で、愛する人が自分に頼ってくる優越感に浸る。
誰にも、この役目を渡すものか。生徒会長にも、書記にもクラスメイトにも。
皆みんな、本田の表面だけ見て恋焦がれていればいい。
とても残念で、可哀相なやつら。


「フランシス、さん」

「うん?どしたの、菊ちゃん?」


全力で甘やかしてあげる。俺以外のどこにも行かないように。
今日1日過ぎると、きっと明日は学校で、普段通り控えめで気配り上手の本田菊と会えることだろう。
そしてフランシスを見て、ほんの少しすまなそうな顔をする。それに屈託ない笑顔を返せば、ほっとしたような笑顔と御礼の言葉をもらえるのだから、こんなに素敵なことはない。

今日はもういっそ自分も学校に行くのをやめようか、と思いを巡らしながら、フランシスは強張りが溶けて体重を預けてくる腕の中のぬくもりを、より一層愛をこめて抱きしめた。





ごめんね(でも逃がしてあげない)


2011.04.04