車に乗り、男の他愛無い話(「どっから来た?」「ここまで1人でか?」「今の時期日本は暑ぃが、このあたりはまだマシな方だ」)に付き合っていると、すぐに目的地に着いた。
田んぼと木々に囲まれた中に、アーサーの実家に比べると随分こじんまりとした一軒家。
二階はなく、庭に面している窓は大きい。庭には黄色い大きな花が咲いていた。
ここまで車に乗せてきてくれた男が、日本風のドア(横にずらすタイプだった)を開けて中に向かって「金色さん、お客だ」と呼びかける。
金色さん?と首を傾げて待っていると、奥から顔を出したのは紛れもなく祖母だった。

「おやアーサー、一体どうしたんだい」

日本に着いてから久しく聞いていなかった英語に、知らずほっと息をつく。
短く切った髪は見事なプラチナブロンド、アーサーと同じ緑の目は軽い驚きに見開かれている。祖母はそろそろ60に手が届きそうな年齢だったはずだが、ピンと伸びた背筋と溌剌とした声音は全く老いを感じさせない。

「お前が日本に来るなんて珍しいね」
「なんだよ、あいつ急に決めるだけじゃなく連絡さえしてねぇのか」
「こら、言葉遣い」

言葉少なく嗜めるところも変わっていない。
少し楽しくなってアーサーは笑う。

「普段イイ子にしてるんだから、多少は目を瞑ってくれよグランマ」
「全く、あんたはいくつになっても変わらないねぇ」

そう言って祖母は苦笑した。
アーサーの肩に手を置き、ここまで孫を連れてきてくれた男の方へ向かって軽く頭を下げる。

「ここまで連れてきてくれてありがとう。この子は私の孫のアーサーだよ」

日本語だった。
さすが日本好きが高じて移住までしただけあって、難しいとされる日本語のイントネーションにも違和感がない。
「あぁ、やっぱりそうかい。金色さんと同じような目の色しとったからな」
会えてよかったな、ぼうず。
くしゃりとアーサーの頭を掻き回して、屈託ない笑顔を置いて男は車に戻っていった。
その明晰さゆえに、周囲に子ども扱いされることがほとんどなかったアーサーは思わずまじまじとその後姿を見送ってしまった。じゃあなぁ、と運転席から手を振って男のトラックが発進したところで初めて、お礼を言い忘れたことに気付いた。

「あ」

「どうせ数日はいるんだろう?近くに住んでる人だからまた会えるよ」
「べ、別にそういうわけじゃ、ねぇ」
祖母が軽く微笑んだ気配を感じたが、懐かしさに免じて許してやろう。
そうアーサーは祖母に逆らえない自分を正当化した。

懐かしさもその日の夜には日常の中へと仕舞いこまれ、存分に現状(父や母のこと、育てている薔薇のこと、プライマリーでの成績等々)を報告して満足すると、明日からは延々読書タイムだなと楽しみにしながら布団に潜った。



翌日は特段時差ボケもなく朝の6時に起床した。
すでに祖母が和朝食を用意してくれていた。白ご飯と味噌汁、煮魚。
ナイフとフォーク、スプーンで食べられる食事に祖母の配慮が垣間見える。
「いただきます」と日本での常識らしい食事の前の挨拶をして、平皿に乗ったご飯をフォークで口に運んだ。生海苔というものを付けてみたら、海苔の辛さとご飯の甘みが絶妙だった。うまい。

「それ、どれだけ練習したんだ?」

箸で器用に魚をほぐす祖母の手元を見ながら聞く。
祖母は魚を摘み上げて笑った。

「また使い方を教えてあげるよ」



ご飯を食べたら自由時間だ。
アーサーはいそいそとキャリーバックから未読の経済書を取り出す。縁側の柱にもたれかかり、読書体勢に入る。外に向かって解放された空間からは涼やかな風が入り込み、ロンドンの街のような騒々しさは一切ない。
これは良い場所を見つけた。5日と言わず長期休暇中ずっとここに居たいくらいだ、と嬉々として本を読み進めていった。


3時間が限界だった。


昼が近づくにつれ、気温はどんどん上がっていった。
気温計を見ると30度。
この程度の気温ならイギリスでも、と初めは言い聞かせていたが、駄目だ。暑い。
じわりじわりと侵食する暑さは母国とは明らかに違う。
耐えかねて本を閉じたところで、タイミング良く祖母が顔を出した。

「お茶でも飲むかい?」
「お、さすが。気が利…」
「よかったよかった。じゃあ、はい、これ」
「は?」

差し出されたものは、お茶の入ったグラスではなく小ぶりな水筒と麦わら帽子。
顔を上げると、笑顔の祖母と目が合った。

「家の中で閉じこもっていても暑いだけだろう?外に行っておいで」
「…この暑さで…あえて外に行けと…」
「何言ってんだい。せっかく日本に来て閉じこもるだけなんて勿体ない」

そう言いながらアーサーに嬉々として帽子を被せ、本を奪い取った代わりに水筒を持たせた。
よし、これで大丈夫、と一仕事終えたかのように手を合わせる祖母。なぜそんなに楽しそうなのかが全くわからない。
これはもう、抵抗しても無駄だ。
アーサーはため息ひとつ吐いてのろのろと立ち上がった。


「……この辺でどっか涼しいとこは?」


「あるよ」


待ってましたとばかりに祖母の笑みが深くなる。
初めから目的はそれだったのかと悟った。


2011.06.14
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次でひとまず区切りの予定。